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[メモ書き]私がMacやiPhoneを「使わなくなった」理由 その1

[座談会 後編:Snow Leopardが登場!! Macはどうなる!? (ITmedia +D PC USER)]

http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0910/02/news033.html

この記事の2ページ目にある、元麻布さんの発言が、自分がApple製品(Mac、iPod、iPhoneなど)に触れても、どうしてもしっくりせず、別の製品(ThinkPadや日本的「ケータイ」)を選んでしまう根源的理由に近い。

いや、アップルもそういう風にいっているんですよ。だから、今回のSnow Leopardだって、誰が32ビットで使うか誰が64ビットで使うか絶対いわない。だけど、実際には、対応するといわれたIntel Macだって、32ビット/32ビットで使う人はいるし64ビット/32ビットで使わなきゃいけない人もいるし、64ビット/64ビットになる人もいるだろうし。それはもういろいろで、そこの違いは気にしなくてもいいのですとアップルは言いたいんだろうけれど、逆にそこが引っかかってくる人もいるわけですよ。その辺が微妙なところではある。だから、全部自分でコントロールしたいという人には、我慢がならないだろうし。

もうひとつ、4ページ目のこれまた元麻布さんの発言。

MacかWindowsか分かんないと思う。少なくともMacよりWindowsが分かりやすいと思うのは、Windowsは、マウスがなくても全ての操作ができる。一方、Macはキーボードでしかできない操作、マウスでしかできない操作ってのが残っている。何というか、全てが理屈通りに動くという直行性よりも、感覚を重視している。だから、慣れてくるとどんどん使いやすくなる。で、Windowsというのは、基本的に全ての操作がマウスとキーボードのどちらでもできるので入りやすいんだけれど、習熟してもある一定以上はあまり使いやすさは向上しない。 

Apple製品を使う際、自分が感じる感覚の筆頭がまさしく「自分でコントロールできない」というもの。Mac然り、iPod然り、iPhone然り。コントロール出来るとしても、その方法は他のものより余計に煩雑だったりすることが多い。「見せない」哲学が、自分にとってはものすごく大きな違和感なのだ。

方法論にしてもそう。自分は、やり方がある程度選べるものの方が正義だと考えているところがある。Apple的感覚はそれを「許してくれない」傾向(許してくれても厳しい仕打ちが待っている)にあるように思えるのだ。

もちろん、Apple製品が他社製品とは違う思想のもとに成り立っていることは百も承知。でも、その思想が「排他」的なものである限り、自分はApple製品を何度手にしても、「使い込もう」とは思わないだろう。

※この「メモ書き」は、本家Blogに「私がMacやiPhoneを『使わなくなった』理由」という記事を書くためのものです。あくまで「メモ書き」なので、ご注意を。

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