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Nov 03

[オピニオン]高校入試における推薦入試縮小の背景

mixi日記に書いたことの改変コピペなんですが…

公立高校入試だけでなく、国立大学なんかも推薦入試(特にAO入試)のあり方を見直していますよね。

一番大きな理由は単純で、「推薦入試入学組の学力が明らかに一般入試組に劣るから」です。だからこそ、公立高校や国立大学なんかは推薦入試でも何らかの形で学力検査を実施して、何とかその格差を是正しようと頑張っていますが、入学後のスタート段階でより長く勉強をしてきた一般入試組と比べると、早く進路が決まってしまうことが多い性質上、期待されていたパフォーマンスを発揮できないことが殆どなのです。

職業柄、高校の先生や大学の先生ともお話することがありますが、「推薦入試は、一般入試だと学力的に(合格が)厳しい生徒への救済措置だ」とハッキリ仰る方も多いです。

大学受験を見てみると、AO入試は、先生方が言われるような「救済措置」風潮が特に強いですよね。AO入試、あるいは推薦入試(私立大附属高校の内部進学を含む)で大学に入ってきた学生の学力面、あるいは知識習得面における、一般入試組比での見劣りは、かつてないほどだと聞きます。

それが、国立大学でAO入試枠が大幅縮小(存置したとしても学力検査を追加)、あるいは廃止の動きになったりする訳です。

逆に私立大学でAO入試が寧ろ増えているのは、学力よりも経営を心配しての(=授業料収入を増やすための)措置です。おかげで国立大学以上に学力的な意味で質が大幅に劣化しているのは、ここに大きな原因があります

翻って高校入試の事を考えると、今の小学校・中学校(いわゆる「義務教育」の期間)での成績の付け方がいわゆる「絶対評価」な訳です。1~5の成績にそれぞれ割合がもうけられていないが故に、成績が学力の判定においてアテにならない(学校、果ては先生によって成績の付け方に幅をもうけることが出来る)ことも、公立高入試で広がる推薦廃止、あるいは学力検査重視姿勢のひとつの原因になっています。

個人的には、学校の「質」をいろんな意味で上げる努力としての推薦廃止(あるいは推薦入試における学力検査の導入)は大賛成です。高校、あるいは大学が何をしに行く場所なのかを考えれば当然のことです。「どうしてもその高校(大学)に行きたい!」というのであれば、それなりの学力を身につけてから行くべきです。もちろん、その努力を買った(評価した)上での推薦入試だったら良いと思いますよ。

[参考URL]

http://mainichi.jp/life/edu/news/20091104ddm041100054000c.html

Oct 08

[オピニオン]VAIO Xに寄せて。 - ThinkPad信者視点で -

各種Webメディアでは、既に開発者インタビューが掲載済み。恐らく、事前取材なんだろうと思われる。とりあえず、ascii.jpのもので気になる部分を。

[開発者インタビューで秘密に迫る「VAIO X」 前編]

http://ascii.jp/elem/000/000/466/466130/ 

「インテルのCPUはこれまでずっと、とにかく『最先端・最高性能のCPUを作る』ことに注目していて、微細化された製造プロセスも、さらに性能を上げるために使われていました。『前へ前へ』という形ですね。たまにモバイルに回帰するんですが、気がつくとまた性能重視に戻ってしまう。モバイルの商品を担当している身からすると、本当にやりたいことに対して、(演算能力が)オーバースペックすぎる印象がありました」

うーん。モバイルに演算処理能力って本当に必要ないんですかねぇ、と思ってしまう自分はつくづくThinkPad信者なんだな、と再確認。というか、持ち運べる処理能力を突き詰めれば… って、そこはVAIO T(旧Type T)が担うところなのかな。処理能力的にVista / 7向きなデュアルコアCeleronモデルも出たことだし。

「考えたのは、『持ち運びを重視するために、なにかを犠牲にしない』ということです。X505と言うのは今から考えると、『薄さありき』で使い勝手を犠牲にした部分がありました。だからそうではなくて、きちんとお客様に価値を提供し、喜んでもらったうえで『こんなにキレイに商品にしました』というものができるはず、という確信がありました。そういう製品はぜひやるべきだし、『VAIOのひとつの理想形だよね』という考えに至ったのです」

だったら、”Pursuit of Perfection”として、そしてMacBook Airへのアンチテーゼとして、海外でも高評価を得たThinkPad X300シリーズみたいな路線を取るべきだったと思うんだよなぁ。やっぱり例にThinkPadを挙げちゃうのが信者故なんだけど。CPUがAtom、しかもグラフィック処理能力的に難のあるZシリーズありきな時点で「犠牲」を払っていると思わないんだろうか。

「Lバッテリーで10時間駆動が見えてきて、『じゃあ倍積めば20時間か?』という、わりと単純な話なんです。ただその過程で、重量の検討も見えてきて、『Xバッテリーを搭載しても1kgくらいですむ』ことが分かってきました。そうなると、『1kgで20時間って、欲しい?欲しくない?』という議論になる。誰もが『欲しい!』ということになりますよね(笑)」

確かにモバイルだったら、バッテリー駆動時間を多く確保したい、っていうのは分かる。ただ、Xバッテリーはその実装方法からしてモバイルの気軽さというものを犠牲にしすぎな感じがするのです。まあ、20時間(JEITA基準)持てば、よっぽどのことがない限りバッテリー交換はしないだろう、という前提のもとにこんな感じになっちゃったんでしょうけど、何かVAIOっぽい「美しさ」を感じないのは自分だけだろうか。

「Aeroをオフにしたのも同様です。パフォーマンス的に厳しいのは見えていたので、利用するユーザーのことを考え、あえてオフにしました。Aeroで実現できる機能とユーザーが必要とするものを天秤にかけ、パフォーマンスの向上を採ったのです。この点は、Atomのプラットフォームを採用すると決まった段階で、開発陣の中では共通の認識でした」

Windows 7をプリインストールしたマシンなのに、Windows 7最大のメリットの1つを「スポイル」せざるを得ないハードウェアってどうなんだろう、っていうのが正直な所。VAIO P(旧Type P)でAeroを有効にすれば分かるとおり、このハードウェアでAeroを動かすとかえって動作が遅くなるのも事実で、Aeroを最初から無効にするのもある意味正解だ。しかし、繰り返しだけど、OSのメリットをスポイルするハードウェアを使うのはどうなんだ、って話。VAIO XのせいでWindows 7の評判が悪くなることが心配。

「それに対してVAIO Xは、『やらなければいけないことを、外に持ち出してやる』ためのもの。それを効率良くすすめるために、必要な機能だけを提供するという発想をしました。type Zのように『すべての面でベスト・オブ・ベストを狙う』製品もあれば、VAIO Xのような製品もあっていいのでは、と考えます」

だったら、繰り返しだけどThinkPad X300シリーズみたいなコンセプトの商品の方が良いんじゃないかと思います。「やらなければいけないことを、外に持ち出してやる」にしては、オールラウンドじゃない気がする訳ですよ。プリインストールソフトウェアの削減は良いことだと思いますが。

と、言うことで、VAIO Xは、「プレミアムモバイル」なんかじゃなく、「プレミアム『ネットブック』」としか思えない件。それで良いんだ、って人もいるだろうけど、何か違う気がする。もしも、ThinkPad X300シリーズやMacBook Airと競うセグメントの商品として、SONYがこれを位置づけているとしたら、飛んだ勘違い。それだったら、VAIO Tの方がよっぽどマシ。というか、VAIO TをもっとブラッシュアップしたものがVAIO Xだったら、自分の印象も相当違ってたんだろうな、と思う次第。

※感想、お待ちしてます。

Oct 02

[メモ書き]私がMacやiPhoneを「使わなくなった」理由 その1

[座談会 後編:Snow Leopardが登場!! Macはどうなる!? (ITmedia +D PC USER)]

http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0910/02/news033.html

この記事の2ページ目にある、元麻布さんの発言が、自分がApple製品(Mac、iPod、iPhoneなど)に触れても、どうしてもしっくりせず、別の製品(ThinkPadや日本的「ケータイ」)を選んでしまう根源的理由に近い。

いや、アップルもそういう風にいっているんですよ。だから、今回のSnow Leopardだって、誰が32ビットで使うか誰が64ビットで使うか絶対いわない。だけど、実際には、対応するといわれたIntel Macだって、32ビット/32ビットで使う人はいるし64ビット/32ビットで使わなきゃいけない人もいるし、64ビット/64ビットになる人もいるだろうし。それはもういろいろで、そこの違いは気にしなくてもいいのですとアップルは言いたいんだろうけれど、逆にそこが引っかかってくる人もいるわけですよ。その辺が微妙なところではある。だから、全部自分でコントロールしたいという人には、我慢がならないだろうし。

もうひとつ、4ページ目のこれまた元麻布さんの発言。

MacかWindowsか分かんないと思う。少なくともMacよりWindowsが分かりやすいと思うのは、Windowsは、マウスがなくても全ての操作ができる。一方、Macはキーボードでしかできない操作、マウスでしかできない操作ってのが残っている。何というか、全てが理屈通りに動くという直行性よりも、感覚を重視している。だから、慣れてくるとどんどん使いやすくなる。で、Windowsというのは、基本的に全ての操作がマウスとキーボードのどちらでもできるので入りやすいんだけれど、習熟してもある一定以上はあまり使いやすさは向上しない。 

Apple製品を使う際、自分が感じる感覚の筆頭がまさしく「自分でコントロールできない」というもの。Mac然り、iPod然り、iPhone然り。コントロール出来るとしても、その方法は他のものより余計に煩雑だったりすることが多い。「見せない」哲学が、自分にとってはものすごく大きな違和感なのだ。

方法論にしてもそう。自分は、やり方がある程度選べるものの方が正義だと考えているところがある。Apple的感覚はそれを「許してくれない」傾向(許してくれても厳しい仕打ちが待っている)にあるように思えるのだ。

もちろん、Apple製品が他社製品とは違う思想のもとに成り立っていることは百も承知。でも、その思想が「排他」的なものである限り、自分はApple製品を何度手にしても、「使い込もう」とは思わないだろう。

※この「メモ書き」は、本家Blogに「私がMacやiPhoneを『使わなくなった』理由」という記事を書くためのものです。あくまで「メモ書き」なので、ご注意を。